松山千春のデビューと竹田さんとの出会い

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1977年(昭和52年)1月25日、千春は〚旅立ち〛でデビューしました。

今では千春もスーパースターですが、旅立ちという曲が売れるまでには、それなりに苦労があったのですね。

千春のデビュー前は、フォークが流行っていた時代です。

北海道の足寄出身の千春が、竹田さんというテレビ局のディレクターの目にとまり、それがきっかけで、北海道で名前が売れ、それから全国レベルへとなっていったのですが、それまでは、長い長い道のりでした。

そして、2016年にはデビュー40周年を迎えました。

竹田さんという、テレビ局のディレクターが私財を投じても歌手にしたいと思えるものを千春は持っていたということなのですね。

千春は、スーパースターの道を竹田さんの死後も歩んでいきましたが、竹田さんという方と会っていなければ、今の千春はありません。

会うべくして会ったのが竹田さんとの出会いとはどのようなものだったのでしょううか。当時の様子を振り返ってみたいと思います。

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千春のデビューから

1975年(昭和50年)4月に行われた、フォーク音楽祭北海道大会帯広予選会に出場した千春は当時19歳で、お父さんの十勝新聞に勤めていました。

フォーク音楽祭の予選には、17番で出番となりました。

千春は当日、新作を作って会場に行ったのですが、譜面を見れないという条件だったので、千春は頭に入っていた曲〚旅立ち〛を歌うことに急遽変更して挑んだのでした。

千春は、自分で作った曲でも、歌っている間に詞を忘れてしまうので、楽譜なしでは歌えないということです。

ギターを手にして4年が経ち、オリジナル曲が20を超えていたといいます。

フォーク音楽祭登場した姿、いかついサングラスに、「ニッカポッカ」だったといいます。

土方の職人さんのいでたちで、評判が悪かったようです。

しかし、人の目は気にしないで、千春は〚旅立ち〛を歌ったのでした。

竹田さんの目に映ったの当時の千春は〚生意気を絵に描いたような奴〛だったと形容していました。

「たとえようもない美し顔だちと、その声は、オレの心を一瞬で鷲掴みにした」と竹田さんは言っていました。

千春が歌を歌い終わり、審査員席にいた竹田ディレクターは、〚ギターが悪いね〛と千春にコメントを言ったら、

そうすると千春は、

〚俺は、ギターの品評会に来たんじゃないんだぜ、オレの歌はどうだったんだよ?〛と挑んだといいます。当時の千春らしい言い方だと感じますね(^^♪

竹田さんにしてみれば、〚ギターが悪いと言ったのは、最大の褒め言葉だった〛と言っていました。

竹田さんの胸の内では、本当に歌は、文句のつけようがなかったということで、歌が申し分ないから、他のが悪いというしかなかったようです。

千春の歌声は本当に高温が綺麗です。〚美しくどこまでも伸びる高音。。。〛と形容していました。

竹田さんは、ご自身のことを、34歳のしがないラジオディレクターの血が熱く騒いだと言っていました。

それが二人の出会いでした。

フォーク祭の審査の結果では、残念ながら千春は落選したのです。

ところが、竹田さんの目にとまり、1976年(昭和51年)の春から始まったSTVのラジオ番組が始まることなります。

竹田さんが、毎週2曲ずつ、新曲書くことができれば、ラジオ番組をスタートできるとうことで、千春は頑張って穴を開けないように、毎週きちんと2曲づつ作っていったのです(^^♪

STVの人気番組、〚サンデージャンボスペシャル〛の中に作った〚千春の一人歌〛というコーナーでした。

わずか10分のコーナーだったのですが、STV公開生放送がのスタジオは500人にみの収容人数で、千春のファンで溢れるようになったのでした。。。

そして、コーナーが始まって10カ月後、1977年1月25日、旅立ちでレコードデビューをしたのです。

その年の8月、松山千春旅立ちコンサート、ファーストコンサートツアー、全道7カ所で行ったのです。

1977年8月8日、北海道厚生年金ホールで幕が上がります。

〚なにげなく口ずさむ歌だけど。。。せめて君には褒めてもらいたい、心をこめて歌うから。。。君のため作った歌。。。〛と。。。

プロのフォークシンガーとして一歩ずつ歩き始めた千春でした。

8月27日が函館のコンサートでした。千春が当日朝に会場に行くと、竹田さんの姿がなかったのです。

急性心不全で、竹田さんは亡くなられていたのです。

たった36歳の若さです。

竹田さんが亡くなられてからも、千春は活動を続けて、シングルを出していきました。

5枚目のシングルが、季節の中ででした。

北海道のスーパースターから、全国のスパースターとなりました。

そして、2016年1月25日、旧厚生年金会館で〚千春を見守る会〛で40周年コンサートとなったのでした。

この厚生年金会館は今は〚ニトリ文化ホール〛となっています。デビュー前には竹田さんに連れられて、〚ハイファイセット〛のコンサートを聴きに来ていたのでしたが、それから40年が経ったのでしたね。

なにか、目に熱いものを感じるのは私だけでしょうか。

まとめ

誰にでも、その人だけの〚出会い〛というのがあります。千春にとって竹田さんは、会うべくして会った運命の人だったのでしょう。

竹田さんにとっても、自分の血が騒ぐと言われていましたが、千春との出会いは、人生を掛けるよな大きなものだったんですね。

将来山のものとも海のものとなるか分からない青年に、自分の退職金を担保にしてくれと、テレビ局に言って、千春をデビューさせてくれたのです。

自分の退職金を、おいそれと担保にはしませんが、それをさせたくなるものが千春にはったのですね。

そんな二人の出会いがあったお陰で、私達は、千春の歌が聴けています。

千春と竹田さん、有りがとう(^^♪

そおえば、千春の家も小さい時は随分と貧乏だったということですが、でも当時って北海道もそうだけど、日本全国がまだまだ経済が成長前だったと感じま...
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