頑張ると無理するのは違うのか?所詮続かないのには理由がある

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頑張るときは、頑張ってしまう時があります。そうなってくるとエンジン全開で頑張りたいと思います。

それが高じると、無理をしてまで頑張りたいと思うようにもなります。

しかし頑張るのはいいのですが、何年もの間頑張り続けるのはかなり難しいです。

勉強でも、恋でも、仕事でもそうですが、やった努力に対してそれ相応の反応なり見返りがないと、続けても虚しく感じるというのは万国共通と思います。

ある時点で認めてもらいたいと思うのが普通です。

もし、虚しさが大きくなって、止めてしまおうかなとも思いますし、しかしそれぞれの性格で、無理をしてまでやっていきたいというときもあります。

また、自分で人生のどのステージにいるかで、頑張りようも違ってくるはずですが。頑張り過ぎて、無理をすること習慣になっている場合があると、いつか破綻がきます。

すこし引いて人生をマイペースで生きていくことも、大事だと思うのです。

管理人が思うところをお伝えしたいと思います(^^♪

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頑張ると無理をするのは違うのか

頑張るというのと、無理をするのは同じか違うがと言えば、違うと思います。頑張ると無理をするのは似てはいますが、無理はやはり「無理をする」ということですので、精神的にも肉体的にも自分の限界を超えてしまってということです。

限界を超えて無理をすると、体にいいことはないと思います。

頑張る理由

もちろん頑張るには頑張る理由があります。そんな時は頑張り勝ちです。でもずーっとできるかともかぎりませんが、頑張ってしまう時があります。

頑張る時期は、

  • 入試の試験勉強
  • 入社面接準備
  • 入社後の残業
  • 転職準備

頑張りには、それ相応の目的が頭の中にあり、家族への期待に応えるというのがあります。

家族の期待というのは、家庭環境があります。

生まれた家の特に両親の教育で、頑張ることが当たり前の家庭環境に生まれると、小さいころから頑張るのが当たり前というのもあります。

誰も生まれる家や親を選べませんので、家庭環境で頑張る環境にあると、頑張る環境が身についているというのはあり、小さいころから常に目標設定をしているのがあります。

そうすると、勉強していないと、仕事をしてないとと、ある意味で強迫観念に似たものがあり、常に何かをする日課として作っているのがありますね。

もしそんな家庭に生まれていなくても、就職してから勤勉に働くのを当たり前にしている自分を見つけるときがあります。

両親への期待に応えるために、受験をするというのもありますが、両親は「将来の自分の為なんだから」と言われて、合格することで、期待に応えようとします。

期待に応えるというのもありますが、「今」頑張れば、将来が約束されている、または今頑張ることで、将来の人生設計を楽にしたいと思うのと、それと同時に両親や身近な人に喜んでもらいたい気持ちと両方でなないでしょうか。

頑張り過ぎる理由

一度、家族や身近な人の期待に応えることができると、「こんなに喜んでもらえて」という思いがあります。

であれば、あのとき喜んでもらえたなら、また喜んでほしいという考えが頭にチラッととおりすぎることもあります。

小さい頃から、将来を有望視された経験があると、途中なかなか辛い時もあります。何かにつまずいてしまった時は、やはり頑張ってまた以前のように喜んでもらいたいと思うのが普通だと思います。

実際のところ、頑張るのは自分の為に頑張るのですが、人から注目されたいとか、人に喜んでもらいたいという気持ちがあるのではないでしょうか。

そうすると、頑張り過ぎてしまうときは、何か失敗したときに、挽回したいと思うのは当たり前です。

期待された経験と注目された経験があると、失敗して自分の汚点とはいわないまでも、落胆されるとまた、「注目されていたい」とか、「かっこいい自分を見てほしい」という思いがあります。

失敗の後には名誉を回復したいとか、また振り向いてほしいとか、そんな思いがあるとおもいます。

無理をしてまで頑張る理由

無理をしてまで頑張る自分を見るのは辛いものがあります。

ある意味で、失敗や挫折がない場合は、無理までするこももないのかもしれませんが、会社の人事で自分のやりたくない、また自分には向いていない部署に回されたとなると、自分自身の「過去の栄光」を思い出して、また復帰したいと思う気持ちはあると思います。

だれでも現在も栄光を求めたいです。

家庭環境の所為で、過去に栄光がなかったという場合もあるかと思います。それが何かひょんなことで、自分にそんな栄光が手に入るかもしれないと思うと、頑張らないとと思います。

それか、会社の部署替えで左遷さらたなど、屈辱的なことがある状態で半年経験したあとなど、また本部や本社へ復帰するなどの提示があると、頑張らないとと体が震えるように意気込んだりします。

そんな時は、会社は自分のことをやはり考えていてくれて、「半年の左遷は人生経験だったのだ」、または、「本社に復帰して頑張ろう」とも思います。

意気込んでいるときは、会社から思ってもらっていると思うものです。

しかし、会社の人事はあくまでも欠員を補充するためのものという場合もあります。そうなれば、自分ではなくてもいいのですね。

会社では、やはり上司とも人間相性がありますので、好きになれない、尊敬できない上司はいます。

それでも仕事ですから、業務をこなすのですが、自分にとって理不尽と思われることを、名誉挽回をするために何年もするのは、自分の為にいいことなのでしょうか。

体に負担をかけてしまいます。

無理をして体を壊した挙句に待つもの

これがもし、一度も挫折の経験もなく、人生すいすい来たのなら、自分に無理な課題をつきつけてまで、無理をしないというのもありですが、一度でも挫折や失敗をしてしまうと、復帰をしようとしてしまうのが普通だと思います。

自分が弱い人間なので、無理をしてしまうのではなく、また過去の栄光のある自分になりたいと思ったり、いままでなかったから、栄光を感じたい、注目される自分を見てみたいという気持ちが働きます。

就職活動を続けたけれど、内定もないまま、結局業績の悪い会社に就職が決まったというばあもあります。

中途採用でやっと就職が決まったという場合もあります。そんな就職先が、業績が良くない場合は、なにかと無理難題な業務を言いつけられます。

それは、無料難題を押し付けられるのは、自分への課題というよりも、会社自体が無理な業務をこなしていかないと生き延びられない状況という場合もあります。

無理をせずに頑張れる境界線

無理は所詮無理です。一時的に1か月や、3か月ならできますが、3年ともなると体を壊します。

睡眠時間を削って、上司の無理難題に答えて、昼のご飯も食べずに、というような状況は何年もするのは無理です。

いつかわ破綻が来ますし、なってからでは遅いです。

生活費のことを考えますし、無理をしてしまいます。

しかし体があっての話しです。

頑張る癖がついていると、無理をして病気で倒れてしまいます。しかしそんな時も会社は次を探し会社を機能させます。

ある時点で勇気をだして、上司がいても就労時間にきっちり終わるなり、勤務の仕方を変えるようでできればいいです。

体調をくずしてしまったり、入院などにもなったりすると、何か月もまたは何年も鬱になってしまう例もあります。家族にも心配をかけてしまいます。

頑張る、頑張れるのはいいのですが、自分の限界を超えてまで頑張ってしまうような「無理をする」のは、色々な期待に応えようとするものですが、無理はつづきませんし、続けてはいけないと思います。

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まとめ

いかがでしょうか。

ストレスは人(他人)からかかると思いますが、自分と周りの環境で自分自身で目標設定をして、できなかった自分自身にできないことで、新たな目標設定を化すということがあります。

その場合は、目標設定は他人ではなく自分自身で行い、できない自分がいると、ストレスを自分でかけていることになります。

目標設定が簡単な場合は問題がないですが、高い目標だと辛いですし、出来ないことをできるだなどと言われ、できないのは自分が悪いと思いがちになると、精神的に追い詰められた状態になっているといえるのではないでしょうか。

思い詰めた状態では、最初からできないことをできると思わされているのかもしれません。

そんな時は休むに限ります。

休むのにも勇気が必要ですが、体があっての話しだと思います。

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