草刈民代 旦那さんは?実家は?ブカレストで涙

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草下民代さん1965年生まれ(52)といえば、バレリーナ志望だったのが、女優に転身した方ですが、もとはといえば、1972年の札幌オリンピックでフィギュアスケートの

ジャネットリンの演技を見て感動し、

翌年小林紀子バレエアカデミーに入門しバレーへの道を歩んだということです。

その後8年在籍して、次に東京都中野区の牧阿佐美バレヱ団に入団しています。

同バレー団で18歳で、主役クラスを演じられるようになり、いくつもの輝かしい賞を獲得したというからすごいですね。

そしてなんと、1990年にソヴィエトの招きで、海外で講演を行うこととなったのでした。

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バレリーナへの道の後押しは、実家の「中央精版印刷」が総額45億円を

草下民代さんのご実家は、埼玉にある中央製版印刷所という総合印刷会社です。

取引先が集英社、小学館、幻冬舎、学研、筑摩書房、早川書房、河出書房新社、毎日新聞社

といって、従業員350人を抱える、「入稿~納本」まで一貫して手掛ける総合印刷会社ですが、

なんと1997年から出た「ONE-PIECE」を第1巻から、こちらの中央製版印刷所は請け負っていたということです。

「ONE-PIECE」はもともと、週間少年ジャンプの連載ですが、コミック版が年に4回出されます。1冊420円として、400万部となると、出版各社で事情は違うということですが、420円の4%となると6720万円が中央製版さんの売り上げとなります。

「累計部数は既に2億9000万部を突破している」とわれています。

ということで「ONE-PIECE」だけで、総計45億円以上を、中央製版の収入との計算ということです。

ですので、ルーマニアの国立ルーマニアオペラハウスでの講演のときも、実家のバックがしっかりとあり、金銭的な問題はなかったということですね。

結婚は周防正行監督と。役所広司とw主演となった〚シャルウイーダンス〛の後に

その後、女優へと転身となった草刈民代さんでしたが、初めての映画出演となったのが、1996年、31歳の時に出演した〚シャルウイーダンス〛でした。役所広司さんとのW主演の映画でしたが、バレーで鍛えた

美しい背筋を活かしたダンスの先生役を演じました。

最優秀主演女優賞・新人俳優賞、キネマ旬報賞:新人女優賞を受賞して、女優の地位を獲得していきました。

ご主人の周防 正行(すお まさゆき)監督との馴れ初めは、映画〚シャルウイーダンス〛で、役柄について何度も何度も話すうちに、お付き合いへと発展し、信頼をおける関係となり結婚へと。

ご主人周防正行監督との結婚の発表は〚シャルウイーダンス〛の公開中に行っていましたね。

ところで、旦那さんの周防正行さんは今映画監督として活躍されていますが、

1956年生まれの野球好き少年でしたが、中学2年の時に肘を痛めて野球の道は断念したのでした。そして、高校卒業後に2年間浪人生活を送ることとなりました。

そして、立教大学文学部仏文科に浪人生活を経て入学となり、在学中に非常勤講師として来ていた蓮實重彦の講義「映画表現論」に出会い、卒業後映画監督を目ざすことになるのでした。その後高橋伴明・若松孝二・井筒和幸といった監督のもとで助監督として修行を積むことになりました。

監督としてのデビュー作は、1984年の小津安二郎へのオマージュを含んだピンク映画『変態家族 兄貴の嫁さん』でした。

2013年、草下民代も演じた『終の信託』で毎日映画コンクール日本映画大賞を受賞したのです。翌2014年、山路ふみ子映画賞において第31回文化賞を受賞した作品となりました。

その後奥さんの草下民代さんはご主人の監督の作品へ出演が続いていますが、

●2011年の『ダンシング・チャップリン』では、2009年に36年のバレエ人生から引退して、〚私のラストダンス〛と宣言して、世界中から集まったダンサーたちの練習風景などの舞台裏60日間を追った記録の映画に。

●2012年、『終の信託』(ついのしんたく)では、

『命の終わりを決めるとき』という、患者が重症患者から重篤になった場合の対応について意向を伝えられていた主人公の医師が、その状況だと判断して取った処置が刑事事件として扱われていくなか、医師役に挑戦していました。

相手役の患者さんは、〚シャルウィーダンス〛の役所広司さんでした。

●2014年、『舞妓はレディ』(まいこはレディ)は、京都の花街で生きてゆく芸子を描いた作品で、先輩芸子役を見事演じていました。

と、何本もの旦那さま周防正行監督の作品へ出演していますので、夫婦がいつも一緒に、仕事もプライベートもだと、〚あきがきて浮気を〛とも思われがちですが、お子さんもいらっしゃらないご家庭で、監督の草下民代さんへの愛情は揺るがず、家でも外出中でも、いつも写真をとって、パソコンにファイルをしているということです。うらやましいですね。

ブカレストの国立オペラ劇場で涙 25年ぶりの劇場

アナザースカイでの、ブカレストのオペラ座とは、

ブカレストはルーマニアの首都ですが、こちらが現在のブカレスト国立オペラハウスです。

収容人数が1200、舞台は幅が24メートル、奥行きが20メートル、

高さが30メートルとなっています。

草下民代さんは25年前にこちらで踊ったのですね。

このブカレストのオペラハウスで踊ったときが、観客からの一番沢山の喝采を受けた

ことをステージに立って25年ぶりに思い出して、感極まっって、涙していましたね。

草下民代さんは、36年もの間バレーをしていたということでしたが、

その間にも椎間板ヘルニアにも苦しんでいたそうですが、辞めることなく

つづけた、その信念には見上げるものがありますね。

これからも凛とした姿勢の草下民代をみれるのを楽しみにしています。

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